編集長の驚異の霊性体験記 第7回〈ミャンマー篇〉
前生の父母と再会奇跡を体験し感泣!
土屋雅昭/文・撮影
一昨年の9月、イーミンさんによる降霊で前生の龍になった本誌編集長は、その際、ミャンマーで出家すること、龍の里に行くことを約束。遂にその時が来て、渡緬。そこで出会ったのは、前生の父であり、母だった!
★ 突然「龍」になり、龍母に会って号泣!
私は再び、「龍」になった。
自分の意志とは無関係に、身体が勝手に動き始めたのだ。いわゆる「霊動」だ。しかも、ミャンマーという異国の寺で---。
一昨年の9月、日本在住のミャンマー人で霊能者のイー・イーミンさんのところで霊を降ろしてもらった時、私は突然、自分の意志とは関係なく、自分の身体が動いてしまう現象││「霊動」を初めて体験した。目は閉じられていて見ることはできないが、意識はあるし、音も聞こえるので、状況はかなり把握できる。だが、自分の意志によって身体を動かすことは何かの力によって封じられており、その何かの力によって自分の身体が動かされるのだ。
イーミンさんによる降霊の時と同じ現象が再び起きたのは、2010年12月27日、ミャンマーはヤンゴン郊外のジョーピュー山のジョーピュー寺においてであった。
その寺のセヤド(大師)、つまりジョーピュー・セヤドと面会し、セヤドがイーミンさんと話を始めて2分以内の出来事だった。
まず、面会してまもなく、正坐して合掌したイーミンさんに異変が起きた。突然、上体が揺れ始めたと思ったら、回転し始めたのだ。後で聞いた話だが、自分でも驚いたという。
「嬉しくなって自然に身体が動いちゃったの。7年前、ミャウンミャ・セヤド(ウ・パンティータ)と会った時、激しく動いて以来のことです」
その様子を撮影していた私は、厳粛な雰囲気を感じて、部屋の後方に退き、カメラを床に置き、正坐した。すると、手が自然に合わさったかと思うやいなや、上体が前傾し、五体投地の礼拝の形に突っ伏した。
1年前と同様に、身体が床に突っ伏したまま、両手は「印」を組んで、頭の先に行ったり、胸の位置に引き寄せられたり、全身をよじりながら前へ進む。頭の前方で固く合わせた掌が、上下に激しく振れ、床をドンドンと叩く。「フーン、フーン」と龍の呼吸のように息が荒い。
イーミンさんが、龍になった私に問う。
「タニンの龍神ですね。龍神たちのお母様が現在、こちらに来ておられますが、それを知ってあなたは来られたんですね。セヤドは前生のお母様とおっしゃっていますが、そうですか」
自由を失った私の身体の一部である頭部が、勝手に激しく上下して、「ゴン! ゴン!」と音をたて、床を強く打つ。これは、「イエス」という返事を意味する。
「会いに来たんですね」
││ゴン! ゴン!
「ありがとうございます。本当に嬉しいね」とセヤドの声。日本語だ。日本の大学で数年、ミャンマー語を教えていたという経歴の持ち主なので、日本語も話せるのだ。
私ではない私の感情、龍としての私の感情が、急激に高まって、いつしか私は甲高い声を出して、号泣し始めていた。
「セヤドからミッター(慈愛)をいただいてください。良かったね。セヤドは待っていたんだって。お告げがあったんだって…」
龍としての私の泣き声が一層高まる。
「本当に、心から、本当に嬉しいね」と、セヤドがまた日本語で語りかけてくれる。
イーミンさんの声が続ける。
「セヤドにお会いして、本当の修行が出来るから良かったね。今までの苦労が、これで…。土屋さんは龍母に会いに来たんですね」
★人徳、教養、霊能力を兼ね備えたセヤド
私の前生が龍であると知らされたのは、一昨年の9月、イーミンさんによってだった。
龍の霊動を起こした私は、ミャンマーのヤンゴン郊外のタニンという所に棲む龍であったということを、自分の身体をもって自ら示したのだった。
そして、そこへ行くこと、ミャンマーで出家することを約束したのだった。4日後に迫ったイーミンさんの癌の手術を止めさせたのも、私に降りた龍神だった。
その龍神との約束が実行されるべく、イーミンさんが骨を折ってくれた結果、今回のミャンマー行きが実現したのだ。
12月24日早朝に羽田空港国際線ターミナルからシンガポール・エアラインで飛び立ち、シンガポールでシルク・エアに乗り換え、夕方にミャンマーに着いた私と妻と小6の息子は、イーミンさんたちの案内で、夜、ミャンマー一の聖地であるシュエダゴン・パヤーを参拝。翌25日は、マハーシ瞑想センターのサヤーコン・セヤドがいるチャイティーヨーの近くの宿泊所に寄り、午後は、ブッダの毛髪が支えているといわれる巨岩のチャイティーヨー・パヤー(ゴールデン・ロック)を参拝した。2日間でミャンマー三大聖地のうちの2つを巡礼したことになる。
翌26日は、サヤーコン・セヤドの生誕を祝う会に出席した後、龍を祀る海中寺院イーレー・パヤーを参拝。
ジョーピュー寺のセヤドを訪ねたのは、その翌日の27日だった。
イーミンさんの夫は秋山さんという日本人で、かつて日本の日本語学校校長を務めたことがあり、20年前の教え子が案内してくれたのだ。
その教え子であるラボーさんが、いまでも秋山さんに恩を感じて慕っていることが、ひしひしと伝わって来る。昔の日本人のような義理人情を彼に感じる。
待ち合わせ場所に現れたラボーさんを一目見た瞬間、懐かしさを感じたのは、それだけの理由ではないが、それは後で触れたい。
ラボーさんは、ヤンゴンのセントラル・アーケードで骨董店を営んでいるが、日本語を活かして日本人相手の旅行ガイドも受けている。そこで、もしや、と思って、ウ・エインダカ(セヤド)のことを聞いてみた。最初はピンと来なかったようだが、しばらくして思い当たったようで、
「日本語、英語、中国語がペラペラの? ザガインの?」
そうだと答えると、15年くらい前に日本人をザガインのお寺に案内して会ったことがあるという。だが、ウ・エインダカがボーミンガウンの力を借りて起こす奇跡を信じることは出来なかったのだそうだ。
たとえば、鉢に入った水を、セヤドが両手でかき混ぜると、ダンローンがたくさん出現するのを目撃したが、信じられなかった。何かトリックがあるに違いないと思った、という。
ダンローンとは、ダンが丸いもの、ローンが特別を意味するという。「魂が入った特別な珠」がダンローンだ。
ダンローンは水に浸して、その水を飲んだり、邪気のある場所に撒いたり、指輪にして身につけたりして使用する健康と魔除けのお守りだ。
錬金術とも関係があり、「賢者の石」とも呼ばれる。龍の腹の中にある石ともいわれる。
ところが、ラボーさんは今、ジョーピュー・セヤドに師事している。弟子になったのだ。そんなことは初めてだそうだ。ジョーピュー・セヤドの人柄と教養が、ラボーさんの心を動かしたのだ。
セヤドはかつてヤンゴン大学の教授で、1983年から6年間、日本の大阪外大で教鞭を執っていたことがある。ヤンゴン大の仏教協会会長を務めており、仏教のパーリ語やサンスクリットの経典に通じたインテリだった。先代のセヤドは著名で、大勢の弟子がいたが、1979年に遷化する前に、在家のヨギ(行者)であった現セヤドを後継者に指名したのだ。
ラボーさんは、仏教徒だが、不思議なことは信じないのだろうか。
「仏教徒ですが、そういうことは余り好きではありませんね。好きなのは瞑想です。お坊さんの戒律はたくさんあって守れないので、自分は瞑想で頑張りたい。年に1回は1週間とか10日間とか瞑想に入ります。普段は30分から1時間、朝か夜に瞑想しています」
以前は幽霊を見たりしてイヤな感じになったが、セヤドに弟子入りしてからは、見なくなったという。
そんなことを移動中の車内で話していると、車が止まった。道路が工事中で通行止めになっている。
急遽、ラボーさんと私の息子だけ、そこに止まっていたバイク・タクシーに乗って行って、反対側から車を連れて戻るということになった。
しばらくして現れたのは車ではなく、バイク・タクシーだった。車は手配出来なかったようだ。バイクに二人ずつ分乗し、寺に着き、セヤドに会えたのは、午後3時半頃だった。
★前生の父セヤドと龍時代の母に会った!
私はまだ、龍のままだ。セヤドがパーリ語のお経を唱え始めた。その響きが心地よい。と思うや間もなく、突っ伏したままの身体が、後方へ下がり始めた。
セヤドの読経が響く中、秋山さんが、「般若心経」を唱え始めたが、二度中断した。後で秋山さんが言うには、「今までこんなことは経験したことがない。2度ともなぜか突然、忘れちゃったんだよ」
秋山さんの読経が終わり、しばらくすると、私の上体が自然と起きて、正坐し、合掌。それは、ちょうどセヤドの読経が終了するのと同時だった。
生身の私には、パーリ語のお経はまったく分からないので、お経の最後と自分の動作をピタリと合わせることは不可能だ。ところが、不思議なことに、それが出来てしまったというわけだ。
セヤドは、この場に居合わせた人々││イーミンさんと秋山さん、私と妻と息子、運転手、イーミンさんにヤンゴンでの臨時の住まいを提供してくれた富豪夫人││その一人一人に、先代セヤドとボーミンガウンのことが記された本と、金色の小さな仏像をプレゼントしてくれた。その仏像は、先代のジョーピュー・セヤドが、人々の安全と幸福を願って、千の植物を混ぜ合わせ、千の場所を巡礼し、千回の読経をして作ったものだという。次に、一人一人の首に、山吹色の紐のお守りをかけてくれた。
龍から人に戻った私が、セヤドの前に出て、そのプレゼントを受け取ると、セヤドは日本語でこう言った。
「昔の息子さんね」
私のことを前生における息子だとおっしゃったのだ。その後は、ビルマ語でセヤドが語ったことをイーミンさんが訳してくれた。
「龍神、つまり、あなたの神様というかお母様がね、このお寺に1ヵ月滞在する、日本からその関係者が見えるというお告げが事前にあったんですって。この出会いは、偶然ではないとおっしゃっています。それで先ほど、私は聞いたんですね。お母様に会いに来たの? って。そうしたら、ゴン、ゴン、って。その時、どういう感じでしたか」
元に戻った私は、龍になっていた先刻の状態を思い起こして答えた。
「嬉しかったですね」
「嬉しかった?」
「すごく、嬉しかった」
セヤドが、ニコニコと満面の笑みを湛えながら、日本語でおっしゃる。
「お坊さんも、たいへん嬉しいですね。昔の家族だから、本当にね」
★ダンローンを私だけが2つもらった奇跡
セヤドは一人一人の頭頂に、金色をしたダチョウの卵のような石を載せ、祝福してくださった。次に、ダンローンと、名刺より一回り大きなマンダラのお守りをくださった。
ここで、他の人には分からない奇跡が示された。
私以外は、ダンローンをひとつしかもらわなかったが、私だけ2つもらったのだ。一瞬、私が前生においてセヤドの息子であったという縁で特別に頂いたのかと思ったが、まもなくそうではないことに気がついた。
実は13年前、私と妻は、ウ・エインダカから、1個ずつダンローンをもらった。セヤドが物質化という奇跡を目の前で起こして、与えてくれたのだ。それはボーミンガウンが示す力で、ボーミンガウンが出そうと思わなければ、出せないのだという。
その時、セヤドから、指輪にして身につけていないと失くすよと言われ、その後そのとおりになってしまったのだった。何軒も宝飾店に指輪加工を打診したが、物質が不明なので受けられないと断られた。そこで、ある人に依頼して一度は指輪にしたのだが、ダンローンがすぐ外れてしまったので、指輪を返品したのだった。
仕方なく、紙の絆創膏で固定して身につけていたのだが、紛失してしまった。妻のを借りて身につけていたが、それも訳あって紛失。それまでは無くなっても、しばらくすると、どこからともなく現れていたので、そのうちまた出現するだろうと高をくくっていたら、その後は現れず仕舞い。そこで1年ほど前だろうか、ボーミンガウンに祈って、お願いしたのだ。
「ウ・エインダカからいただいた2つのダンローンを失くしてしまいました。申し訳ありませんでした。どうか再び、ダンローンを2つお与えください」と。
ボーミンガウンの返事は、「分かった。与えよう」というものだった。
今ここに、こうして私の手のひらの上に、その2つのダンローンがある。ジョーピュー・セヤドからいただいたものだが、ウ・エインダカ・セヤドからいただいたダンローンとそっくりだ。私しか知らない、私の心のうちに秘めた願いを、ジョーピュー・セヤドは知っていて、私に2つのダンローンを与えてくれた。これを奇跡と言わず何と言おうか。
ボーミンガウンが2000年後に、次のブッダとして現れるという話をした後、セヤドは私に言った。
「息子さん、良くなります、だいじょうぶ。また、いろいろ話、しましょう。毎日毎日、皆さんのためにお祈りします。だいじょうぶよ」
私の今までの苦労をすべて汲み取った上で、おっしゃっているのを感じる。
面会を終える間際、セヤドは私の息子に近づいて来て、「孫、孫」と嬉しそうに語りかけた。私が前生の息子だから、私の息子を孫と言ったのか、それとも…。ボーミンガウン意識に問うと、前生で同じ時にセヤドの孫だったのだそうだ。
私が龍だった時の母(龍母)に会え、挨拶を申し上げた。感泣した。前生の父に会えて、励ましを受けた。これだけで、ミャンマーに来た甲斐があったというものだ、このためにミャンマーに来る必要があったのだと、明確に自覚した。もうこれで帰国しても良いとさえ思った。旅の真の目的は果たされたと感じた。
帰りの車中で、私はラボーさんに確認したいことがあった。
「僕らが訪ねることは、前もってセヤドに言ってなかったのですか」
ラボーさんは答えて言った。
「私は何もしてないです」
「いきなり訪問したんですか」
「そうです。電話してもつながらないですから。だから、さっきの道路工事も知らなかった」
行きの車が通行止めにあった、あの場所のことだ。
アポを取らずに、いきなり訪ねたが、私たちが訪ねることをセヤドは予知していて、待ってくれていたのだ。セヤドは最近、日増しに評判が高まって多忙のため、時間をとってもらうのはとても難しいそうだ。
翌28日は、龍が棲むタニンの川へ向かった。正確には、タニンの南方にあるチャウタン村、ヤンゴン川支流だ。
舟で川を渡り、「水中寺院」と呼ばれる、中州に建つイェレー・パヤーを参拝した。礼拝所で「般若心経」を唱え、龍母に祈って、再び挨拶した。すると、龍母からの返事が届いた。
「挨拶は昨日すでに、しっかりと受け取った」
セヤドが言われたとおり、龍はジョーピュー寺に移動していて、川にはいなかった。が、この川はかつての自分の故郷であり、懐かしい地であり、この地に来る意味はあった。
イーミンさんは、約束の地に私を連れて来られて、「これで、ホッとした」とおっしゃった。
イーミンさんと出会わなければ、またイーミンさんが予定どおり舌を切除する手術を受けていたら、あるいは、健康が回復しなければ、このツアーは実現しなかった。
もっと遡れば、私が本誌を創刊しなければ、妻との出会いもなく、本誌を維持し続けなければ、ウ・エインダカ・セヤドとも、イーミンさんとも出会わなかっただろう。
ジョーピュー・セヤドの許へ導いてくれた骨董店主のラボーさんは、イーミンさんの夫の教え子であり、私はミャンマーで今回初めてお会いした。彼ともまた、前生以来の再会であり、それゆえの懐かしさだったのだ。
一見、些細なことに見える、いろいろなことの積み重ねの上に、今がある。歴史に「もし」はないというが、人の歴史である人生にも「もし」はないのだ。
27年前に、ボーミンガウンの叱声を聞かなければ、本誌の創刊はなかった。
「いつまで遊び惚けているのか。そろそろ自分のやるべきこと、なすべきことをしなさい。そうすれば、良き伴侶も与えられる。困難はあるが私が守る」
言葉の主は、名乗らないし、ボーミンガウンの存在など当時は知る由もなく、どこの誰なのか分からなかった。
それがボーミンガウンだと分かったのは、1998年に来日したミャンマーのウ・エインダカ大師との出会いによってだった。ウ・エインダカと一日を一緒に過ごしている間に、直観したのだ。自ずと感じられたのだ。以来、毎日、ボーミンガウンに祈るようになった。
後に出会ったある霊能者にボーミンガウンの話をすると、黄金の気の光が降り注いで、ボーミンガウンが降りて来たのだが、霊能者は、ボーミンガウンの姿を霊視して、「写真とは違ってすごく神々しい」と言った。
ボーミンガウンは霊能者を通じて私に、「困った時は、私の名を呼びなさい」と言ってくれた。
ボーミンガウンが降りて来るとまもなく、ウ・エインダカからもらったダンローンは、なぜか光沢を失って、まるで軽石のように変貌し、ボーミンガウンのスピリットが去ると、元の光沢を取り戻すという不思議な現象も起きた。
以後、私は困難に直面するとボーミンガウンの名を呼んだ。それによって、どれだけ救われたことか---。
(『カルナ』2011年4月号より)
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