Book Review of KARNA


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『ビルマのウェイザー信仰』
土佐桂子/著 勁草書房 定価10000円+税

上座仏教社会におけるボーミンガウンなどの賢者崇拝

ビルマ(ミャンマー)の国民の多くが敬虔なテーラワーダ仏教徒であることは、本誌の読者ならよくご存知だろう。しかし、「ウェイザー(weikza)信仰」となると、それを知る人はよほどのビルマ通である。
ウェイザーとは、パーリ語のvijjaが語源で、錬金術、呪符、マントラ、偈文などの術を修得して、物質化などの超自然的力、いわゆる超能力を持つに至った存在だ。本誌でも14年前から取り上げている、ビルマでは知らない人がいない聖賢ボーミンガウンやボーボーアウンが、その範疇に入る。
本書によれば、ビルマでは、仏教に関する学問をローコゥタラ・ピンニャーと呼び、それ以外の世俗に関わる学問をローキー・ピンニャーと呼ぶ。後者は狭義には、錬金術、占星術、民間医療、呪符の術などを指すが、これらを修めた者がビルマではウェイザーと呼ばれ、信仰の対象となって来た。
正統サンガ(僧団)は、このローキー・ピンニャーに否定的だが、一方でボーミンガウンが仏教布教に努めたり、仏教僧正の中にもジョーピュー・セヤドのように、ローキー・ピンニャーや超自然的力を修める者もいる。
本書は、テーラワーダ仏教社会におけるウェイザー信仰について論じる学術書だが、仏教の阿羅漢とウェイザーはどう位置付けられるか、「この世を抜けた存在」トゥエヤッパウとは? など、ビルマの霊性世界に関心のある者には必読の書と言える。(T)
(カルナ2011年12月号より)

『慈雨の音』
宮本 輝/著  新潮社 定価2100円+税

激動の昭和30年代、慈しみの雨が降る…。

作家・宮本輝のライフワーク『流転の海』の第六部『慈雨の音』が、ようやく刊行された。第一部が1984年に刊行されてから27年。前作の第五部『花の回廊』からも3年。まだ完結は遠そうで、こうなると作者と読者の根比べのようでもある。「自分が生きているうちに完結して欲しい」という長年の愛読者の声も…。
時は昭和34年。終戦から14年がたち、日本がめざましい復興をとげていた頃だ。皇太子御成婚や日米安保、東京オリンピックのニュースに日本中が湧いていた。松坂家でも、御成婚パレードを見るために、テレビを購入した。冷蔵庫や洗濯機も普及し始め、ようやく戦後の混乱期が終わって、高度成長期が始まろうという頃だ。『週刊少年マガジン』、『週刊少年サンデー』もこの年に創刊されている。
松坂熊吾の駐車場経営は軌道に乗り、新事業に手を広げていく。妻の房江も、生活に喜びを見いだしてゆく。中学生になった一人息子の伸仁は思春期を迎え、親に反発したりもする反面、子犬や鳩を飼う心のゆとりも見える。一方、「地上の楽園」と喧伝された北朝鮮へ帰還する人々との、つらい別れもあった。何人かの登場人物の中には亡くなる人も。
今回、非常に重要な場所として山陰本線に架かった余部鉄橋が登場する。この橋の上から自分の遺灰を撒いてほしいという浦辺ヨネの遺言を果たそうとする松坂一家だが、下は千尋の谷で、普段剛胆な熊吾も怖じ気づくほど。そこで、伸仁はもう一つの別れも経験した。
相変わらず、熊吾の人生哲学がしみ出すかのような言葉の数々も必読。しかし、妻の房江は、熊吾とは違う人生観に悩んだりもしている。
まだ生々しく残る戦争の記憶と、確実に復興へ向かう時代の大きなうねりの中で、成長してゆく伸仁と、伸仁に限りない愛情を降り注ぐ熊吾。「父と子」を描く作者の自伝的物語は、これからも続く。(H)
(カルナ2011年12月号より)

『天の方舟』
服部真澄/著 講談社 定価1900円+税

国際貢献には嘘がある?

本音と建て前があるのは、よくあることかもしれないけれど、そのギャップが余りにも大きいと、人は耐えられなくてそこを離れるか、その世界にどっぷりつかって染まっていくか、どちらかなのだろう。
しかし、黒谷七波は、最初から裏の世界を目指して、途上国開発援助ODA・開発プロジェクトの企画・サポートをする、コンサル業界でも五指に入る大手コンサルタント会社に就職した。同僚の多くが、「国際貢献」という理想の元に入社し、その実、あまりに汚い裏側を知って去って行くのに対し、七波にとって、その裏こそが目指す世界だった。
貧しい苦学生で、京大在学中からホステスをしながら生活費を捻出してきた七波は、豊かになれる道として、コンサルタント会社で働くことを選んだ。給料が良いわけではない。国民の税金が使われるODAの莫大な資金から、多額の取り分が「抜ける」と、ホステス時代に知ったからだ。生活が苦しいだけではなく、親が借金を作り、何度も少ない貯蓄を切り崩していくしかなかった七波の金への執着は、分からないでもないし、不満を持ちながらも親に金を用立てる七波は、むしろ親孝行と言えるかもしれないが、その先に待っていたものは、やはり破滅でしかなかった…。
外国の公務員への賄賂を取り締まる法律がないというザル法に守られて、やりたい放題に金を抜いてきたコンサルタント会社、ゼネコン、政治家たちだが、2004年に施行された新法により、七波は追い詰められてゆく。さらに、七波が企画したベトナムの橋梁建設プロジェクトでは、手抜き工事のため多数の死傷者を出した。
七波の逮捕で始まる物語は、貧しさから金銭的豊かさを追い求めた一人の女性の、成功と凋落を描いている。
「おいしいですね、ODAは」。
裏で動く莫大な金に群がる政治家や実業家の、尽きることのない欲望の海は、どこまでも深い。(H)
(カルナ2011年11月号より)

『ジェノサイド』
高野和明/著 角川書店 定価1800円+税

人類滅亡の危機?

ジェノサイド(genocide)とは、一つの人種や民族、国家などの構成員に対する抹消行為のことだ。ジェノサイドでまず思い出すのは、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺だろうか。ジェノサイドは大量虐殺と捉えられがちだが、特定の宗教や文化の抹消なども含むため、必ずしも殺戮を表す言葉では無いのだが、やはり恐ろしい言葉である。
物語は、創薬化学を専攻する大学院生・古賀研人のもとへ、急死したはずの父親から、1通のメールが送られてきたことから始まる。研人は父の遺書となってしまった奇妙なメールを頼りに行動するうちに、秘密の私設実験室にたどり着く。ウィルス学者だった父は、ここでいったい何を研究しようとしていたのか? しがない研究者にすぎないと思っていた父には、どんな秘密があったのだろうか。
一方、特殊部隊出身の傭兵、ジョナサン・イエーガーは、難病に冒された息子の多額の治療費を稼ぐため、ある極秘の依頼を引き受けた。「人類全体に奉仕する仕事」というだけで、詳細不明の仕事。おそらくは暗殺任務。イエーガーは暗殺チームの一員となって、戦争状態にあるコンゴのジャングル地帯に潜入する。そこで、人殺しの訓練を積むのだが、対象はもしかしたら子どもかもしれない?
一見、何の関係もなさそうな日本の大学院生とアメリカの傭兵の人生が交差するときに、何かが起こる。
著者が20歳の時に着想を得て、25年越しで作品になったという『ジェノサイド』。専門的で詳細な「創薬化学」や、コンピューター関連の情報は、その道のエキスパートや大学院生への詳細なインタビューを経て、物語へ落としこんでいったという。
『6時間後に君は死ぬ』から4年ぶりの新刊は、歴史的ジェノサイド、新薬開発問題、世界の紛争問題、父と息子…。さまざまな問題を織り込んで、エンターテインメント性あふれる、壮大な人間ドラマとなった。(H)
(カルナ2011年10月号より)

『三十光年の星たち』
宮本 輝/著 毎日新聞社 定価各1500円+税

長い時を経て輝く何か…。

事業に失敗し、共同経営者でもある恋人にも逃げられ、借金の返済に窮した青年、坪木仁志。親には勘当され、明日の生活もままならない。そんな坪木に、金貸しの老人・佐伯平蔵は、貸した80万円の返済の代わりに、自分の運転手をするよう、提案する。坪木は提案を受け入れ、佐伯とともに、佐伯が金を貸した人々を訪ねる旅に出る。そこには、亡き夫の残した借金を毎月5000円ずつ返し続けてきた未亡人や、長い年月を掛けて苗木から森を育てようとしている料亭の女将がいた…。
この物語は、筆者自身の経験に基づいて創作されたという。筆者が広告代理店に就職した23歳の時、亡父の手形を持つ男が現れ、毎月5500円ずつの返済を提案してきた。以来、5年間、毎月給料日翌日に自ら足を運び、完済したという。その時、男は「長い間ありがとうございました」と頭を下げ、著者自身も礼の言葉を返してお辞儀をしたという。そこには長い年月を掛けたからこそ生まれた、貸し借りした金以上の何かがあったのではないだろうか。
本書では、あるドイツ人植物学者の言葉として、「現代人には2つのタイプがある。見えるものしか見えないタイプと、見えないものを見ようと努力するタイプだ。きみは後者だ。現場が発しているわずかな情報から見えない全体を読み取りなさい」という言葉が紹介される。
優れた師を持ち、自分を磨き、成長させていける人間は幸せだ。師の厳しさに耐え続け、長い時を経たとき、そのつらさは輝きに変わる。そんな人間たちのきらめきを、作者は描きたかったのかもしれない。
現代では何ごとも簡単であること、早いことが良いことであるかのように思われているが、時間のかかることや面倒なことの積み重ねの後に、本当の幸福は訪れるのだろう。本当に大切な物は、見えない物の中に隠されているのだから。(H)
(カルナ2011年9月号より)

『日本の覚悟』
櫻井よしこ/著 新潮社 定価1500円+税

中国に食い潰されないで生き残るには何をすべきか

「現実を曲げて強硬な主張をする厄介な隣人」で、「国際法を踏みにじり19世紀型帝国主義を実践する中国」に、「飲み込まれず、食い潰されないで生き残るには、何をすべきか」を、平和ボケした日本の国民に考えさせる好著。
もちろん著者は、「日本の覚悟」を、中国問題に対してのみ問うのではない。米、韓、台湾との関係、教育、エコ、捕鯨、口蹄疫、援助隊派遣の問題にも触れており、わが国の民主党政権にも厳しい批判を容赦なく加える。
だが、このところ急激に国際社会で存在感を増す、というより問題を起こす中国を分析し、日本が何をすべきかに多くの紙幅を割く。かの国は、毛沢東の時代から、①偽の情報を流し続ける「世論戦」、②目的に合わせて国際法、国内法を整備する「法律戦」、③圧倒的な軍事力を誇示し敵の士気を低下させ戦わずして征服する「心理戦」の「三戦」を実施して来た。
①に見られるように、「彼らにとって、事実は問題ではなく、彼らが主張することが事実である。主張と現実が異なれば、主張に合わせるべく現実を変えようとする」。今やGDPで日本を抜き米国に次ぐ経済大国となった中国は、すでに47年前に核保有国となったが、近年、人類史上例を見ないすさまじい軍拡を続けている。
一人でも多くの日本人が本著を読んで深く考え、「何をすべきか」、「覚悟」を決めねばならない時が来ている。(T)
(カルナ2011年8月号より)

『時間の終焉』
J・クリシュナムルティ/著 渡辺 充/訳 コスモス・ライブラリー(星雲社) 定価2300円+税

心理的時間に終止符を打てば争いや葛藤はなくなる

神智学協会のリードビーターによって見出され、救世主に祭り上げられながら、その教団を解散、宗教を否定した宗教家のクリシュナムルティ。
原子爆弾開発のマンハッタン計画に図らずも荷担してしまったことで、「深い責任感に駆られて、人間を破局へ追い込んでいるものの正体」を探究した量子力学の旗手であるデヴィッド・ボーム。
本著はこの二人による「議論ではなく、ただ問題を観つめながら本質を探っていく」対話集だが、二人に通底するものは、人類への危機意識、責任感であり、それゆえ二人の交流は25年以上にも及んだのだろう。
ボームが唱えた量子力学の理論では、「離れた粒子同士が相互作用」するため、「ある部分だけを取り出すことは不可能」(非局所系)であり、全体を抜きに部分は存在出来ない。「ホログラフィー宇宙モデル」仮説において宇宙は、見ることが出来る「明在系」と、見ることのできない「暗在系」の二重構造となっており、後者には「宇宙の全情報、それも宇宙創世から未来永劫までの全情報がインプットされている」と彼は唱えた。
クリシュナムルティは、あらゆる葛藤の根源を思考や記憶と考え、それらがもたらす条件付けからの解放を唱えた。彼はインドにいる時、「私」と世界の区別がない、「あらゆるエネルギーの根源」に至り、己の脳が変容する体験をした。皆がそこに達すれば、「すべての問題は解決され」るという。
「人間は進路を間違えたのだろうか」という問いから始まる本著は、決して悲観論や終末論を説くものではない。「人間性に真の変化が起こる可能性があると知覚しているか」とのボームの問いに対し、クリシュナムルティは「もちろん」と答え、こう結ぶ。個別のものから一般的なものへ、一般的なものからさらに奥深く、絶対的普遍的なものへ進んで行けば、そこには「慈悲心、愛そして英知と呼ばれている純粋なものがある」と。(T)
(カルナ2011年6・7月号より)

『雑文集』
村上 春樹/著  新潮社 定価1400円+税

不老不死の実現、消えた敬語

1979年から2010年にかけての、村上春樹自身がセレクトした69篇の未収録、未発表の文章とのことだが、実際には雑誌に掲載されたインタビューやエッセイ、本の後書き、書評など、厳密な意味では未発表ではないものが多い。発表されなかった(何らかの理由でボツになった)エッセイや、未発表の短編小説など、本書ならではのお楽しみもある。それに、こうして1冊の本にまとめられると、また違った村上春樹像も見えて来る。
話題となった2009年2月のエルサレム賞受賞のスピーチ『壁と卵』も、改めて文章で読んでみると、さらに感慨深いものがある。村上の小説の根底に流れるものが、垣間見えるからだ。
また、地下鉄サリン事件と『アンダーグラウンド』についてアメリカの雑誌に書いたけれど掲載されなかったという一文も、非常に興味深い内容だ。加害者側からばかりを取材した多くのマスコミに対して、被害者である「普通の人々」のインタビューを集めたという村上。毎日、「殺人的」ですらある満員電車に揺られ、仕事や学校へ通う普通の人々。対して、多くは一流大学卒のエリートでありながら、一線を踏み越えてしまった加害者たち。今、改めて考えさせられる。
安西水丸と和田誠の対談も楽しい、まさに雑多な「福袋」だ。(H)
(カルナ2011年6月号より)

『歌うクジラ』
村上 龍/著 講談社 定価各1600円+税

「雑多な心持ち」の福袋

2022年のクリスマスイブ、ハワイで歌うクジラが発見された。そのザトウクジラは、グレゴリオ聖歌を繰り返し、正確に歌うのだった。
そして100年後の日本、人類は遂に不老不死のSW遺伝子を発見した。SW遺伝子は一部の選ばれた人間に使われたが、それでは人間が増えすぎるので、犯罪者には急速に老化が進む方法が取られた。文化経済効率化運動により、食事や笑顔や敬語は悪とされた。
最下層の犯罪者が住む九州北西部の新出島に住む、敬語を使う15歳の少年タナカアキラは、SW遺伝子の秘密を入れたマイクロチップを、ある人物に届けるため新出島を出ようと決心する。アキラの冒険の旅が始まる…。
i Padで先行発売され、話題となった本作。読みやすさを考慮してか、一節が短く、細切れに読むのにも便利だが、文体は決して読みやすくない。これはもちろん、わざとなのだろうが…。
敬語は崩壊し、美しい日本語は消え、助詞がおかしくなったセリフが連続して出て来ると、意味を追っていくのが少し辛くなるかも。しかし、それでもなお、本作には読む者を惹きつけるパワーがあるのだ。
『五分後の世界』や『半島を出よ』にも見られる、村上龍の圧倒的な想像力に面白く牽引されるが、この不思議な言葉遣いには、ついて行けない人もいることだろう。荒唐無稽とも言えるまったく新しい世界が広がっているのだから。
敬語は悪とされた未来。主人公のアキラだけが敬語を使う。効率で見れば敬語は無駄かも知れないが、そういう無駄なものが文化だろう。不老不死も、人類の悲願の一つかも知れない。しかし、それがかなえば人口が増えすぎて人類は亡んでしまう。だから片方で、老化を進めて、早く死ぬ人間を作らなくてはならない。このブラックユーモアのような世界…。クジラの歌う、美しいグレゴリオ聖歌を想像しつつ、生きる意味を思う。(H)
(カルナ2011年2月号より)

『冤罪法廷』
魚住 昭/著 講談社 定価1200円+税

特捜に冤罪が作られる!

村木厚子厚労省元局長に無罪判決が出て、逆にその証拠を改竄したとして大阪地検特捜部のトップ3が逮捕される異常事態が起きている。
だが、検察、中でも特捜は、そもそも国民が思って来たように正義の実現者だったのか。
著者は共同通信の記者時代、特捜の取材を通じ、「特捜の正義」を信じていた。その信頼が崩れ始めたのは、10年ほど前からだという。決定的に信頼が瓦解したのは02年、大阪高検公安部長の三井環が大阪地検特捜部の手で口封じ逮捕された事件によってだった。「検察は組織を守るためならどんな非道なことでもやってのける。それを目の当たりにして私は恐怖に慄いた」という。
そんな著者が、元局長の冤罪が晴れるまでの過程を、元局長を弁護した「カミソリ弘中」あるいは「無罪請負人」とも呼ばれる弘中惇一郞弁護士に焦点を当て、いかに特捜部が事件のストーリーを作り、弁護側がそれをどう崩していったかを克明に描写する。
弘中弁護士が担当して無罪判決を勝ち取った、ロス疑惑の三浦和義、薬害エイズの安部英・前帝京大副学長の冤罪事件はもちろん、ライブドア、ムネオ疑獄、西松建設献金・陸山会事件における特捜の非道な手口が明かされる。
政界汚職や経済事件を特捜部が摘発すればするほど検察の権益は広がり、OBも含めた『検察王国』が盤石のものとなる。
著者は言う。「彼女(元局長)の事件には『特捜の病理』が凝縮されていた。それは小沢一郎の西松献金・陸山会事件にも共通することだった。検事たちは事前に組み立てたストーリーで架空の犯罪をつくりあげる」
「悪質・巧妙だった捜査が、悪質・ズサンなものになった」と弘中氏をして言わしめる検察。一刻も早くそんな検察の横暴・暴走を防ぐための監視システムを作らないと、暗黒時代が到来するとの恐怖を感じた。(T)
(カルナ2010年12月号より)

『ひそやかな花園』
角田光代/著 毎日新聞社 定価1500円+税

すべてが明らかになっても、あの夏は花畑のように…

紗有美、紀子、賢人、樹里、雄一郎、弾、波留の7人は、年齢も住んでいる場所もさまざまだが、子供時代の数年間の夏、一緒のキャンプで楽しい時間を共に過ごした仲間だった。ところが、ある年の夏を最後に、突然その習慣は途絶えてしまう。互いの苗字も、山荘のある場所も知らず、キャンプが中断された理由も分からないまま…。親に聞いても何も教えてくれなかったり、嘘をついたり。大人たちは何かを隠しているようだった。
やがて成長した彼らは、それぞれの境遇に行き詰まったり、空虚感や問題を抱えたりする中で、あのまぶしかった夏をそれぞれに思い出す。だが、ひょんなことから17年ぶりに再会し、あの夏のキャンプを天国だったという紗有美に、波留は言う。「あれがなんの集まりだったか知ってて天国だって言ってるの?」
キャンプに集まった家族たちの共通点とは何なのか? 何故それは秘密にされていたのか? 視点を順繰りに移しながら進む前半は、謎解きの面白さで一気に読ませ、真実が明らかになってからは、それぞれが人生や家族のあり方を自らに問い、苦悩する人間ドラマが織りなされる。そして山荘の夏の思い出をそっと共有しながら、7人はそれぞれに何かを摑み、未来に向かって歩き始める。(M)

『砂の上のあなた』
白石一文/著 新潮社 定価1700円+税

偶然の堆積にしか見えない人間関係に潜む必然

かつて最も愛した高遠耕平との子を堕ろした美砂子は、今は直志という夫を持つ主婦だ。
夫が望んだ時はその気になれなかったのに、二年半前の父の死をきっかけに急に子どもを欲するようになった。激しい喪失感ゆえだった。
そんなある日、美砂子の前に見知らぬ鎌田浩之という男が、父の愛人東条紘子宛の恋文を持って現れる。二年以上にわたる不妊治療をめぐって亀裂が入り始めていた夫との関係に、鎌田の存在が楔を打ち込んでゆく。ところが鎌田の行動には、ある秘密が…。
父の恋文を持って現れた鎌田の人間関係を手繰り寄せて行くと、次第に父の「恋慕や悔悟、絶望や憧憬」が、美砂子の周囲の人々に大きく影響していることに気づく。
「因と果ははてしなく私たちを包み込み、ただ、私たちはその因果をいちいち探ろうとせず、また探ろうにもその術を持たされていないがゆえに、便宜的にそれぞれの関係や出来事を『偶然』と名付けて意識下に追いやっているにすぎないのではないか……。」
やがて、美砂子は思うのだった。人は「巨大な砂丘の一粒一粒の砂」に過ぎず、その「砂の一粒の希望、喜びや哀しみなどというものは所詮は大きな砂丘のうねりの小さな小さな影でしかあり得ない」と。
「結局すべてのものは一つに繋がっている」と確信した美砂子だが、彼女は、そんな「絆やしがらみをすべて切り捨てたいと願う」のだった。自分の身体の奥深くに埋め込まれた遺伝子たちが二度と自分を支配しないように封じ込めたい、と。
なぜなら、巨大な砂丘を生み出し、それを動かし続けているのは、自分たち女自身だから…。
夫の大叔父に当たる西村仁斎という神業を持つ〈気〉の治療師が、偶然の必然的人間関係の輪の中に描かれているが、そんな秘術の登場も、本誌読者には嬉しいに違いない。(T)
(『カルナ』2011年3月号より)

『日本人の信仰心』
前田英樹/著 筑摩書房 定価1600円+税

もし一度だけ死者に会えるとしたら…

大昔から脈々と続く私たち日本人の「信仰」は、そもそも「宗教」とは相容れないものだった。その「信仰」は、稲作を中心とする生活の中に溶け込んでいた。米を作り、米を食す生活はそのまま、太陽、土、雨など大自然の恵みに感謝し、神を思い、神と共に在る生活だった。そして農業と切っても切り離せない祭は、神とともに作った米や酒を、神とともに喜び、食すためのものだ。暮らしそのものが祈りだったのだ。だが経典も教義も持たないその信仰は、大陸から文字や仏像、つまり仏教がやってきて、大きく揺さぶられる。
日本人には宗教心がないと言われるが、もっと普遍的な「信仰心」が私たちの中にはあるはずだというのが、本書の姿勢である。保田與重郎、柳田國男、本居宣長らの言を引きながら、稲作、鉄器、祭、暦、念仏、戦争など、様々な角度から日本人の信仰心を論じた随想集は、哲学的な発見に満ちた刺激的な良書である。
他の人々が信じる神を排せず敬意を表する「敬神」の精神は、遙か昔から日本人だけが持つ徳性だと柳田國男は言う。一神教、多神教という言葉を超えた「多であり一である」神を大事にしてきた日本人の家には、「何様かを拝む場所」があった。その思いは今も確かに、地下水脈のように私たちの血の中を、静かに流れ続けているのだ。(M)
(『カルナ』2011年3月号より)

『大川周明 イスラームと天皇のはざまで』
臼杵 陽/著 青土社 定価2400円+税

マホメットと会見する白日夢を見続けた博士

本誌読者で、肥田春充のフアンであれば、大川周明が春充と親交があり、太平洋戦争を阻止しようとした同志であり、巷間云われるような「右翼思想家」や「超国家主義者」でないことはご存知だろう。
本著によれば、イスラーム研究者でもあった大川は、「宗教と政治との間髪を容れざる回教」的「政教一致」を理想とし、「天皇を中心とした君臣一体の共同体」を想定したが、彼は必ずしも「天皇による『親政』」に固執したわけではなかった。
玄洋社の頭山満や、春充が尊敬したキリスト者の押川方義に、「抱一無離の宗教人」を認めたように、大川にとっては、「マホメットもその一人」であって、信仰と道徳、宗教と政治も一体不離でなければならなかった。
「東京裁判」の法廷において大川は突然、東条英機の禿頭を「ペタン」と叩き、翌日の公判では精神鑑定のため退廷させられ、翌年には、精神錯誤を理由に免訴となるが、彼は巣鴨プリズンと、移送された東大病院において、「マホメットと会見」するという「白日夢」を見続けた。
そうして大川が最晩年に到達した境地は、「絶対者の具体的表現としての『方便法身』を信じて一体になれば、人間の心そのものがそのまま絶対者になるというもの」であり、政教一致の姿は後退し、「内面的・精神的なイスラームの姿が前面に出」たのだった。(T)
(『カルナ』2011年2月号より)
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